「2001年宇宙の旅」と先生の思い出

ふと思いたってレンタルショップで「2001年宇宙の旅」を借りました。50年前に製作されたとはとても思えない緻密で美しい映像に圧倒されっぱなしで、今まで見ていなかったことを悔やみました。

 

この映画を知ったのは17歳の時です。オータは高校時代、山岳部に所属していました。2年生の途中で入部し、ほかの部と掛け持ちしていたので、実際に登ったのは3回くらいのへっぽこ部員です。その山岳部の顧問の先生がいちばん好きな映画だと話していたのがずっと頭の片隅にあり、いつか見たいと思いながら30年が経ってしまいました。

 

映画の話を聞いたのは部員として初めて登ったときのことです。顧問と副顧問の先生、部員6名で、高校から車で1時間ほどの山に行き、一泊二日で沢登りをしました。気持ちよく晴れた夏の日で、川に沿って2~3時間登ってから、地下足袋と草鞋(わらじ)に履き替えて浅くなった水の中を歩きました。もちろん沢登りも、地下足袋と草鞋も初体験です。

 

(水辺の石は苔や藻に覆われてものすごく滑りますが、草鞋を履くと嘘のようにすいすい歩けるのです)

 

午後の早い時間にその日のキャンプ地に到着し、荷物を置いて近くの滝で崖を登る練習をしました。夕食はたしかカレーでしたが、それより印象に残っているのは、男子が釣ってきた小さな魚を先生が小さなフライパンで調理してくれたことです。油で炒めただけの魚は骨だらけでほとんど味がなく、わずかな苦みがあり、いかにも「川の味」という感じがしました。

 

後片付けを終えて全員でたき火を囲んでいると、先生がおもむろに言いました。
「火を見ていると何か思い出さないか?」

 
誰も何も言いませんでした。オータは、先生が何かロマンチックなことを口にしたらどうしようとどきどきしていました。多感な時期だったので、恥ずかしさとか照れくささが強かったのです。たぶん先生が言いたかったのは「原始の記憶」とか、そういうことだったんだろうといまは思いますが。

 

それからどういう話の流れになったのか、どのくらいたき火を囲んでいたのか、もうすっかり忘れてしまいましたが、先生が「2001年宇宙の旅」がいちばん好きな映画だと話していたことだけは強烈に印象に残っています。なぜなら、帰宅して新聞のテレビ欄を開くと映画のタイトルが目に飛び込んできたからです。たぶん先生は前週の予告を見て放映されることを知っていたのだと思いますが、オータはあまりの偶然にびっくりして予知能力かと思ったほどでした。
 

まだインターネットもレンタルビデオも普及していない時代です。その夜はあの美しい映像世界に触れる本当に本当に貴重な機会でした。でも、オータは映画を見る習慣のない両親に言い出せず、結局そのままになってしまいました。

 

あのとき無理にでも見ておけば良かった。田舎でぬくぬくと育った無知で甘ったれの高校生の目にどんな風に映ったんだろう? おそらく当時のオータには退屈で訳の分からない映画だったと思いますが、先生に映画を見たことを伝えて、感想を聞けたかもしれなかったのにと思うと、残念でなりません。

 

オータは先生が好きでした。当時55歳くらいだった先生は孤高の人で、ちょっと世間を馬鹿にしている風で、近寄りがたい雰囲気がありました。オータの気持ちは作家とか画家といった自分とは別世界に住む人へのほのかな憧れのようなものでしたが、中途半端な時期に山岳部に入ったのは、一緒に入部する仲間が見つかったからだけではなく、先生に少しでも近づきたいという下心もありました。

 

たき火を囲んだ翌日、頂上から折り返してあと2時間ほどでふもとに到着するという頃です。後方にいた先生に呼び止められました。リュックの紐がほどけているから直してやると言うのです。オータはかなり緊張して背中に先生の存在を意識しながら、川の中をどんどん進んでいく部員達を眺めていました。
 

その姿がほとんど見えなくなったころ、先生は「こっちへ行こう」と林の中へ入っていきました。薄明るい林の中、下草を踏みしめてどきどきしながら先生の後を追いました。二人きりで林を歩いたのはほんの15分ほどだったと思います。先生もオータも一言も話しませんでした。そして、蛇行する川をショートカットする格好でまもなくみんなに追いつきました。

 

これが「2001年宇宙の旅」と先生の思い出です。

 

社会人になってしばらくして、忌野清志郎の「僕の好きな先生」という曲を聴いたとき、先生のことみたいだなあと思いました。

 

たばこを吸いながら あの部屋にいつも一人

僕と同じなんだ 職員室が嫌いなのさ

 


先生はいつも化学室の隣の準備室にいました。職員室に行くたびに先生の姿を探していましたが、山岳部に入って先生が職員室にいないわけがようやく分かりました。

 

卒業式の日、準備室まで先生に挨拶しに行こうか悩みましたが、恥ずかしいような怖いような気がして行けませんでした。あとで卒業を報告する手紙を出しましたが、予想通り先生から返事はありませんでした。

 

 

旅に出ると

2泊3日で夫の実家に行ってきました。義両親に温泉旅行をプレゼントすることになり、留守番をする義祖母(以下ばばさま)と一緒に過ごすためです。近所に夫の兄妹がいるのですが、ばばさまは大層ひがみっぽいので、めったに会えないオータ夫婦が顔を見せて気をそらせようという作戦です。

 

夫の実家は電車とバスを乗り継いで一日がかり。有給をとって金曜の夕方に現地入りしました。一方、プレゼントした温泉旅館もかなり遠いため、土曜に義兄が宿まで送り、日曜に義妹が迎えに行き、その間オータ夫婦がばばさまの相手をする算段です。初日はばばさまがひがんでる風でしたが、義両親不在の2日目の夜は義兄の子供たち(ばばさまのひ孫)も集まって賑やかに食事しました。

 

オータは夫の実家に数えるほどしか行ったことがありません。オータの実家も遠方だし、休みが合わないので、お正月もお盆も別々に帰省しているからです。そして、オータも義母も気を遣うだろうという夫の配慮で、2泊したのは今回を含めてたった4回だけです。ありがたや。

 

とは言うものの、夫の実家は居心地がよく、オータはいつものんびり過ごしています。ほとんどの時間をこたつに入って足の悪いばばさまとおしゃべりし、手伝いは食事の後片付けくらい。ただ、料理好きな夫の提案で、2泊する時は2日目の晩ごはんを作ります。買い出しなどで時間がつぶれるし、お手伝いするより気楽だし、料理を中心に話がはずむ上にみんなに感謝されるのでいいことずくめなのです。

 

料理の担当は夫7割オータ3割で、後片付けはその反対。普段は2人分しか作らないので大人数だと調理も後片付けも大仕事です。夫がいろいろ引き受けてくれますが、自宅に戻るとびっくりするくらい肌や指先や髪が荒れているので、慣れない場所で慣れないことをするのは体に負担がかかるんだなあと思います。


これは夫の実家だからというわけではなく、観光地でも、温泉でも、自分の実家ですら、泊まりがけで出掛けると必ず体のあちこちに変化が現れます。生活リズムが崩れると体のバランスもあっけなく崩れてしまうようで、肌は粉をふき、指先は荒れ、髪はぱさつき、肩や腰がぎしぎしと痛みます。バックパックで旅したあの頃はもっとタフだったのに、と思わずにはいられません。

 

オータの旅支度は「身軽」がモットーです。旅慣れた夫はたいてい初日の宿だけ決めてあとは行き当たりばったり。各駅停車や路線バスで移動し、気になる駅でふらりと降りてひたすら歩き回る(たまにレンタサイクル)というスタイルです。動きやすいよう荷物は極限まで減らすため、シャンプー等は現地にあるものを使い、保湿はニベアのみ。全身ががさがさな仕上がりになるのは致し方ありません。

 

こういう旅は決して嫌いではないのですが、初めて夫の実家に挨拶に行った時、5泊6日の中日を実家泊に設定されたときはさすがに参りました。かばんにワンピースやハイヒールを詰め込み、いつものように各駅停車であちこち立ち寄りながら数日かけて実家を目指すという肉体的にも精神的にもハードな旅をこなした後で、夫にたっぷり文句を言いました。それ以降は初日にまっすぐ実家に行き、その後で旅を楽しむ方式に変わりました。ちなみに今はお気楽にスニーカーで行っています。

 

年々旅疲れからの回復に時間がかかるようになり、50代になってもこんなに動けるのか不安になることもあります。でも、電車で中高年の登山グループなどと乗り合わせるとみなさん気力も体力もみなぎっている様子。電車で移動するだけで疲れている自分が情けないったら。旅疲れを1週間くらい引きずってしまうこともあるので、最近は最終日の行動を控えめにして、なるべく暗くなる前に帰宅するように心がけています。豪華なパッケージツアーより青春18切符が性に合っているオータとしては、あれほど元気に年を重ねる自信はないけれど、ちょっとあやかりたいと思うこの頃です。

 

 

飲み会にて

元同僚たちと飲みに行きました。いわゆる「女子会」です。オータを入れて6人のうち、当時の会社で働き続けているのは1人だけ。ほかは同業に転職したり、異業種に移ったり、専業主婦になったりとさまざまです。

 

一緒に働いていたころは全員独身で、体力もあり、しょっちゅう飲み歩いていましたが、皆40代となった現在、びっくりするくらい酒量が減りました。ビールなんて水のように飲んでいたのに、いまはジョッキ2~3杯でおなかいっぱいになる始末。その日は週の半ばだったので22時過ぎにお開きになり、終電まで飲み続けていた頃に比べるとずいぶんおとなしくなったなあと感慨深いです。

 

オータはその中でいちばん年上です。当時はそれほど年齢差を感じなかったのですが、一人だけがん検診の対象だったりしたので、今回バリウム検査や白髪の話題で盛り上がったのはちょっと嬉しかったです。社会に出たばかりのころ、会社の飲み会で、どうして30代は体力の話、40代は健康の話ばかりするんだろうと不思議に思っていましたが、いまはよく分かります。

 

その日オータは体調がいまひとつだったので飲まないつもりでしたが、周りにつられてビールや日本酒を頼んでしまい、翌日は軽い二日酔いになりました。ほかの人も電車を乗り過ごしたり、知らないうちに痣を作っていたりと、いろいろ反省点があったようです。ただ、皆そろって酒量が落ち、以前のように紹興酒とかワインとかじゃんじゃん頼んだりしなくなったので、お会計はかわいくまとまっていました。

 

オータはいままで5回転職をしています。職場環境はさまざまでしたし、人間関係で悩むこともありましたが、どの職場でも飲み仲間には恵まれました。ある時期一緒に働いたというだけで、こうして集うことができるなんて有難いなあとあらためて思った夜でした。

 

 

 

フロスのおかげ

歯磨きがあまり好きではありません。虫歯になるのは嫌だし、口の中が気持ち悪くなるので朝晩必ず磨きますが、磨き方はかなりいい加減で、磨く時間も短いです。でも、ここ10年ほど大きな虫歯はできていません。小さな虫歯はたまに見つかりますが、治療はたいてい1回で終わり。痛みもありません。そんな快適な状態を保っていられるのは、半年ごとの検診とデンタルフロスによるところが大きいと思っています。

 

オータは幼稚園に入る前から歯医者に通っていました。虫歯になりやすい体質だったようです。子供のころ歯医者の何が嫌だったかというと、歯を削るときの金属音や痛みへの恐怖に加え、よその子供の泣き叫ぶ声と医師の怒声でした。田舎だったせいか、当時はお医者さんが患者(子供)を怒鳴ることはふつうにあったように記憶しています。

 

それで歯医者が嫌いになったかというとそうでもなく、小学校を卒業するまでしょっちゅう虫歯治療に通っていたせいで、治療が早ければ早いほど痛みが少ないということを子供ながらによくわかっていました。そして、いったん虫歯になったら自然に治ることは絶対にないということも。

 

そんなわけで、大人になってからは異常を感じたらすぐ歯医者に予約を入れ、定期検診も欠かしません。ただ、磨き方がいい加減なので虫歯はときどき見つかります。あと、磨くときに力を入れすぎるようで、知覚過敏になったのを虫歯と勘違いして受診したことも何度かありました。そのたびにブラッシングの指導を受けるのですが、時間が経つと自己流に戻ってしまいます。教わった方法は15~20分かけて丁寧に丁寧に磨くので、面倒くさがりのオータは身に付きませんでした。

 

そこに救世主のごとく登場したのがデンタルフロスです。

 

フロスを使うようになって10年ほど経ちます。当初は週1~2回の使用でしたが、いまは歯磨き後はほぼ毎回使うようになりました。最初は力の加減が分からず、上手く歯間に入らなかったり、歯茎に糸をめり込ませたりしましたが、だんだん上手く扱えるようになりました。旅行に出かけたりして数日ぶりにフロスを使うと、ちょっとくさかったり、歯茎から血が出たりすることがあるので、しばらく使わないでいると落ち着きません。使う頻度が上がったのは、年齢とともに歯並びが悪くなったり歯茎が痩せたりして、食べ物が詰まりやすくなったせいもあると思います。

 

オータがフロスを知ったのは高校生のとき、いまから30年前(!)のことです。ニューヨークを舞台にした少女漫画「CIPHER(サイファ)」のなかで、主人公がフロスを手にするとても印象的なシーンがありました。この漫画でフロスを知り、使っているという人は結構いるんじゃないかと思います。オータが実際に使い始めるのはそれから20年後ですが、頭に「フロス=サイファ=なんだかオシャレ」というイメージが強烈にインプットされたのは確かです。

 

歯磨き嫌いのオータですが、フロスは大人になってから身に付いた良い習慣のひとつです。鏡の前でフロスを指に巻いた自分の姿を見るたびに、フロスのおかげはサイファのおかげかもしれないなあとしみじみ思うのです。

 

 

 

スロージョギング再開

1か月ほどさぼっていたスロージョギングを再開しました。胃腸の調子がだいぶ回復したのと、自分の後ろ姿の肉々しさに驚愕したからです。


走り始めたのは昨年の秋のこと。それまで通っていたホットヨガ教室の退会がきっかけです。団体行動が苦手なオータにとって個人が黙々と取り組むヨガは気楽でよかったのですが、平日は残業でほぼ行けず、休日は混雑がひどくて落ち着かず、高い月謝に見合ってないなあと感じていました。通いやすい立地だったのですが、入会キャンペーンがひっきりなしに行われ、いま思い出してもあの混雑ぶりはひどかったです。

 

かつて友人とテニスやバドミントンを楽しんでいたこともありますが、ここ10年はヨガ→ジョギング→ヨガ→ジョギングのループで現在に至ります。両方とも特別な道具は必要ないし、誰かと組むわけでもないので、始めやすく止めやすいというのが共通点です。

 

初めてホットヨガの世界に足を踏み入れたのは37歳の時で、運動不足の解消と体の柔軟性向上が目的でした。子供のころから体が硬く、靴下を履くにも難儀するほどで、このまま年を取ったら日常生活に支障をきたすかも!と危機感を持ったのです。たまたま目にしたホットヨガの広告に「インドに近い高温多湿の環境なので、体が柔らかくなりやすく、怪我をしにくい」と説明があり、これなら挑戦できそうと心が躍りました。

 

オータが通っていたのはインドで修行したという男の先生が一人で運営していて、おしゃれなウエアや優美なポーズとはかけ離れた地味でストイックな教室でした。年齢層が高く、男性が多く、Tシャツ&ジャージの人が大半でした。先生のポーズをひたすら真似るだけでしたが、干渉されないところが心地よく、先生の都合で教室が閉鎖されるまで3年余り通いました。

 

その後、似たような教室を探しましたが、きらきらした感じのところばかりだったので、あきらめてジョギングを始めました。が、モチベーションが持続しません。市のヨガ教室に参加したりもしましたが、抽選に外れたりして続きませんでした。こうして10年ほどヨガとジョギングの間を行ったり来たりして、またジョギングの番が巡ってきたところです。

 

今回のジョギングが今までと違うのは「スロー」に徹しているところです。スロージョギングの特徴は、

 ・会話できる程度のゆっくりペース

 ・歩幅は小さめ

 ・(なるべく)つま先から着地

という点。ウォーキングより負荷がかかるけど、ジョギングほど苦しくなく、長時間走ることができます。ほんとは足や腰への衝撃が少ないフォアフット(つま先)着地がいいらしいのですが、オータはあまりうまくできないので、かかと着地で走っています。何も意識せずにいるとだんだんスピードが上がってしまうため、信号待ちを利用してスローペースに戻すよう気を付けています。

 

走るのは週に2~3日で(目標は週4日ですが!)、ゆっくりペースで40~50分。真冬でも15分ほど走れば体が温まり、手袋は必要なくなります。夏は全身汗みずくです。

 

走っていちばん良かったと思うのは、10年以上苦しめられていた冬場のひどい咳がほとんど出なかったことです。脇腹が筋肉痛になるほどの激しい咳が何か月も続き、病院を受診しても対症療法だけだったのですが、昨冬はほとんど咳が出ませんでした。期待していたヒップアップなどの目に見える変化はなかったものの、体質改善にはつながったのかなあと思います。

 

ほんとは夏バテにも効果があったと書きたかったのですが、7月半ばから走るのを休んでしまったので、来年は胃腸の調子を万全にして夏を迎えたいです。

 

それからもうひとつ。45歳のオータがスロージョギングを始めて渋い気持ちになったのは、二の腕が筋肉痛になったことです。それまで足腰が痛くなったことはあっても、腕が筋肉痛になったことなどありませんでした。ふだん使っていない筋肉を活用した証なのでしょうが、何もしないとどんどん衰えるという現実を身をもって知りました。

 

実はしばらくさぼっている間にジョギング熱はいくぶん冷めていたのですが、そんなある日、鏡の前で振り向きざまに目に入った腕から背中にかけての肉々しさといったら! 自分の目が信じられなくて角度を変えて何度も見直してしまいました。再びジョギングに取り組んでいるのは、まさに二の腕の筋肉痛再来を期待してのこと。「やらないより何倍もまし」と魔法のことばを唱えながら今日も走ろうと思います。

 

  

 

受けてびっくりカラー診断

先日「パーソナルカラー診断」を受けてきました。顔の近くに色布(ドレープ)を当てて「自分に似合う色」を診断してもらうものです。

 

似合う色を身に着けると、

 ・肌の透明感が増して顔色が明るく見える

 ・しみ、しわ、くまなどが目立ちにくくなる

 ・顔の輪郭がすっきりして見える

 ・服選びに迷わなくなる

 などのメリットがあるとのこと。

 

オータがいちばん興味を持ったのは「服選びに迷わなくなる」というところです。35歳を過ぎて肌のくすみが気になりはじめ、白いシャツが似合わなくなったと感じていたからです。明るい色を身に着けるとレフ板効果で肌がきれいに見えると言われますが、いざ試着して鏡を見ると自分の顔色の悪さに愕然とすることがしばしばありました。一方、地味な色は肌になじんで違和感はないのですがあまりときめきを感じません。試着室に入っても結局買わずに店を後にすることが増えました。

 

デパートが主催するカラー診断サービスを知ったのはそんな時です。手頃な料金で似合う色を診断してもらえるほか、似合うコーディネートも提案してくれるというではありませんか。さっそく申し込もうとしたのですが、数か月先まで予約でいっぱいでした。

 

それならばと個人サロンを探したところ、どこもなかなかの料金設定でした。デパートだと3000~5000円くらいで、他のサービスと併用すれば無料というところもあったのですが、個人サロンは1万~2万円が相場のようです。しばらく悩みましたが、全身エステに行ったつもりで自分に投資してみよう、と思い切ってあるサロンに予約メールを送りました。

 

当日はすっぴんで来てくださいと言われたので日焼け止めだけ塗って出かけました。自宅の一室に設置されたサロンは、床までの大きな窓がある明るい部屋です。コース内容について簡単に説明を受けた後、いよいよドレープを当てて診断開始。120色の布を次々に肩にかけて、顔色やしわの見え方などを確認していきます。最後に似合う色でメークをしてもらい、2時間のコースはあっという間に終わりました。

 

ひとつひとつの色を丁寧に見せていただいたのですが、オータはセンスがないのか、判断するポイントがいまひとつ分かりませんでした。A色とB色のどちらが好きかは答えられますが、似合っているかどうかは自分では見分けられなかったのです。明らかに肌がきれいに見える色もありましたが、迷う色も多かったです。でもそういった判断はプロにおまかせすることにして、普段は手に取ることのない色に囲まれた時間を楽しく過ごしました。

 

パーソナルカラー診断では季節になぞらえて似合う色グループを表現します。フレッシュでカラフルな「スプリング」、淡く青みがかった「サマー」、こっくりした深みのある「オータム」、クリアで鮮やかな「ウィンター」の4種類。実際にカラーチャートを見ると季節と色のイメージが結びついて分かりやすく、最初に提唱した人はうまいこと分類したなあと感心します。

 

さて、そんなオータの診断結果は「サマー」タイプでした。少しくすみのあるシャーベットカラーがいちばん顔色をきれいに見せてくれるのだそうです。似合う色はラベンダー、スカイブルー、ライトグレー、ベビーピンク、ローズピンクなどで、特にピンク系をすすめられました。反対に、NGカラーはカーキやブラウンなどの「オータム」カラーでした。

 

・・・なんということでしょう。

 

オータはカラー診断の存在を知ってからインターネットで無料のセルフチェックをいくつか試したのですが、結果はいつも「オータム」でした。もともと好きな色味なのでクローゼットもオータムカラー、つまり地味めでくすんだ色が多いです。似合うと思っていたのに!

 

一方、いちばん苦手な色はピンクです。色自体があまり好きではないし、似合うと思ったこともありません。ピンクの服も小物もひとつも持っていないし、ほとんど手に取ったことすらないので、この診断結果は衝撃的でした。

 

 考えてみれば、セルフチェックは主観で回答するわけだから、結果が自分好みになるのは当然と言えば当然かもしれません。最初の質問で肌色を尋ねられて「イエロー系の色白」をクリックしましたが、プロに見てもらうと「ブルー系の色白」なのだそうです。このため、メーク用品はローズなどの青み系が肌なじみがよく、ピーチなどの黄み系は肌を濁らせるそうです。オータは青み系が似合わないと思い、黄み系しか持っていないというのに。ほんとにいろいろびっくりです。

 

「白いシャツが似合わない問題」については、 真っ白は避け、青みがかった色を選ぶと肌と調和するとのこと。やっぱり白いシャツは似合わなかったんだなあと納得しました。

 

パーソナルカラーは肌や目の色を基準にするので、似合う色は20年くらい変わることはないそうです。つまり、今回の診断結果は65歳まで活用できるんだなあ。持ち歩くのに便利な色見本カードをいただいたので、今まで避けていたピンクにもいつか・・・いつか挑戦してみようと思うオータです。

 

 

『リトル・フォレスト』

料理の上手な友人がいます。彼女はかつて菜食主義者でした。自分で始末したことのない動物の肉を食べるのに違和感を覚えたから、というのが理由です。

 

そんな彼女が鶏を絞めてさばいて調理するまでのレポートを送ってくれたことがあります。それで納得できたのか、その後は肉も食べているようです。子供が生まれて色々変わったとも言っていました。

 

映画で鴨をさばくシーンがあり、その友人のことを思い出しました。都会の真ん中で仕事にも子育てにも趣味にも力を注ぎながら、ごまを炒り、ぬか漬けを作り、ミョウガを栽培する素敵な女性です。