胃カメラを飲みに

生まれて初めて胃カメラを飲みました。胃の膨満感やげっぷに悩まされるようになって半年以上が過ぎ、一向に改善する様子がないので病院を受診することにしたのです。

 

オータの不安はいつも急にやってきます。ある月曜の朝、突然不安の神様が降りてきて、とにかく一日でも早く検査を受けなければ!と急かされるように病院に電話をかけました。もともとその週に有給休暇をとる予定で、運良く休みに合わせて予約することができました。都内には当日予約できるクリニックが結構あり、オータのように急に不安になるタイプには有り難い対応だなあと思います。

 

病院を予約するにあたって重視したのは二つです。一つは、家から通いやすい場所にあること。もう一つは、できるだけ苦しくない検査が受けられることです。

 

オータはしょっちゅう引っ越しをしているため、かかりつけの病院がありません。病院に行く時はインターネットで検索してなるべく家の近くで受診しています。何度も通院することになった時に遠いと面倒だからで、医師の技量や人柄は運まかせです。病院の口コミはほかの業界と違って圧倒的に情報が少なく参考にならないので、えいやと勢いで決めています。

 

検査への不安は主に痛みに対するものです。オータは痛みに弱い体質のようで、さほど痛くないと言われる検査や施術で激烈な痛みを感じた経験が何度かあります。そして限界まで我慢した結果、貧血を起こしたり立てなくなったりするので、避けられる痛みはできるだけ避けたいのです。胃カメラの体験談を読むと、人によって痛みの感覚が大きく異なるようで、オータは間違いなくつらく感じる方だと思いました。

 

予約前に大急ぎで集めた情報はこんな感じです。

・胃内視鏡の苦しさは主にカメラが喉を通る時の「嘔吐反射」によるもの

・鼻からカメラを挿入する「経鼻内視鏡」は嘔吐反射がほぼないが、経口内視鏡と比べてカメラが小さいので画像の精度が劣る場合がある

・鼻の穴の大きさや形によっては経鼻内視鏡が使えない場合がある

経鼻内視鏡は組織採取はできるが、ポリープ切除などできない処置もある

経鼻内視鏡でも苦しい人は苦しい

・麻酔を使用して眠っている間に検査する病院もある

 

最初は苦痛が少ないという経鼻内視鏡を考えましたが、鼻の穴が小さく使えなかったとか、経鼻でも苦しかったという体験談を目にしてびびってしまい、麻酔を使用した検査を受けられる病院を探しました。

  

結論としては、麻酔を使う病院を選んで本当に本当に良かったです。完全に眠ったわけではなく、少しぼーっとする感じで検査を受けたのですが、それでも結構苦しかった。麻酔なしだったら最後まで検査を受けられたか自信がありません。

 

オータが受けた検査の流れは次のとおりです。

①受付
②問診
③エックス線検査(バリウムなし)
内視鏡検査
 消泡剤を飲む(胃の泡を消す)
 ↓
 喉頭麻酔(ゼリー状の麻酔薬)
 ↓
 点滴(生理食塩水&鎮静剤)
 ↓
 胃・食道の観察&撮影&組織採取(モニターを見ながら説明を受ける)
 ↓
 ベッドで安静   
⑤診察
⑥会計

 

カメラ本体にも麻酔薬を塗っていたようですが、カメラが喉を通る時や胃の観察中に何度も嘔吐反射がありました。ゆっくり呼吸するように言われて、本当は鼻呼吸した方がいいと思ったのですが、必死に口呼吸することしかできませんでした。苦痛が大きかったら鎮静剤を増やすと言われたものの、なんとかそのまま耐え、モニターで自分の胃を見ながら説明を聞くことができました。不安な人は完全に眠った状態で検査することもできるそうです。

 

病院では受付から終了まで2時間ほどかかりました。実際にカメラを飲んでいた時間は10分前後だったと思います。

 

そして診断は「逆流性食道炎」でした。原因はストレス、睡眠不足、疲れ、食べ過ぎ飲み過ぎなどだそうです。1か月ほど薬を飲み、改善しなければまた受診するように言われました。内視鏡で見た胃壁には切り傷のような赤い線がいくつもできていて、胃に負担をかけてたんだなあと反省しました。ほかにポリープがありましたが、後日良性であることが分かりほっとしました。

 

 診療費は初診料や薬代も合わせて3割負担で約1万4000円。検査のみだと4000円ほどですが、ポリープがあったので生検の費用が追加されました。残念。

 

まだ薬を飲んでいるところですが、症状はだいぶ改善しました。薬は胃酸を抑える錠剤と、胃の調子を整える漢方薬で、あんなに出ていたげっぷがほとんど気にならなくなりました。初めての胃カメラは麻酔をしても苦しかったし、懐も痛むものでしたが、とりあえず不安は去っていったかなあ。

 

 

夏バテと月曜バテ

夏が苦手です。汗かきなのでちょっと歩くと全身汗だくになり、化粧もあっという間に落ちてしまいます。家も職場も駅近で外を歩く時間は5分足らずなのに、会社に着いてしばらくは汗が止まりません。そのくせ、汗がひくとこんどは冷房にやられてお腹を壊したり、肩や背中ががちがちに凝ってつらいです。ひざ掛けやカーディガンを常備し、冷たい食べ物、飲み物は避けるようにしていますが、体質なのでうまくつきあっていくしかありません。


夏が苦手になったのは35歳を過ぎてからです。だんだん体力が落ちてきたのと、夏の暑さが昔よりも厳しくなったせいだと思います。

 

・・・と書いたところで、ほんとに昔より暑くなったのか気になって気象庁のデータを検索したところ、東京の8月の平均気温は、オータが生まれた1971年が26.7度、20年後の1991年が25.5度、2016年が27.1度で、大きな変化はありませんでした。オータが上京した1990年頃の夏と比べて体感的に3度くらい上がった気がするのですが。


ただ、東京都環境局のまとめだと、真夏日(最高気温が30度以上の日)や熱帯夜(最低気温が25度以上の夜)は増加傾向にあって、東京の夏は確かに暑くなっているようです。なかでも「関東地方の30度を超えた延べ時間数の広がり」の図はなかなかインパクトがあり、昔より暑いのは気のせいじゃなかった、と安心しました。そりゃ体もきつくなるわけです。

 
30代前半は夏場の不調を気合いでごまかし、いま思うと結構無理をしていました。炎天下スポーツに励んだり、焼肉店をはしごしたり、朝まで飲み歩いたり。35歳の夏、やたらと寝汗をかくようになり、なんだかいつもだるかったのですが、いま考えると体力の分岐点だったのかもしれません。運動不足で体力が落ちたと思っていろいろ活動していましたが、ほんとは休養すべきだったのでしょう。


それ以来、夏になると食欲が落ちて痩せてしまい、週末はぐったりして何もやる気になりませんでした。食欲がなくても頑張って食べていたのですが、しょっちゅうお腹を壊し、栄養がきちんと吸収されていない感じ。秋が近づき涼しくなると何事もなかったように食欲が戻り体調が回復しますが、ずいぶん体に負担をかけていたんだと思います。


そんなオータの夏バテ対策でいちばん効果があったのは、就寝時のエアコン使用です。独身時代は電気代がもったいないのでほぼ使いませんでしたが、暑がりの夫と暮らすようになってからは、5月の終わりころから一晩中エアコンを付けて寝ています。寝具は冬用の羽毛布団で、夏は2枚合わせの薄手の方を外しています。贅沢だと思いますが、朝まで熟睡できるので疲れがたまりにくく、体調維持につながっているようです。とにかくお腹をほとんど壊さなくなり、夏痩せしなくなりました。睡眠って本当に大切なんだなあと実感しています。

 

電気代は春秋が3000円台、夏冬が5000~6000円台です。平日の日中は家にいないし、土日も出掛けることが多いので、一晩中エアコンを使っていても電気代はそれほどかかりません。30代後半に夏バテ体質を改善したくて漢方クリニックに通ったのですが、そのときの薬代を考えたら電気代なんて安いものです。

でもオータはケチなので、一人の時はエアコンを控え、首に濡れ手ぬぐいを巻いてしのいでいます。野良作業中のような恰好になりますが、手軽で涼しくて気に入ってます。

 

そんなわけで、ここ数年は夏バテはそれほどでもないのですが、代わりに月曜バテに悩んでいます。平日は規則正しい生活をして、ビールを控え、職場も涼しいので割と元気なのに、週末に出歩くと次の月曜は情けなくなるほど体が重くなります。紫外線と熱気で体力を消耗してしまうようで、日傘や帽子で防御しても太陽の下で半日も過ごすとその夜は全身が熱を持ってよく眠れません。週末はついついお酒を飲みすぎ、胃腸もぐったりしてしまい、水曜日あたりにようやく元気を取り戻します。


自分の体力を過信せず、真夏のお出掛けとお酒はほどほどにしておこうと思う46歳の夏です。
 

 

 

 

 

 

 

 

「ファッション迷子」脱却への道

オータはファッションセンスがありません。背が高めで痩せているのでたいていの服は着ることができますが、圧倒的に絶望的にセンスがありません。ファッションにあまり興味がなく、センスを磨く努力もしなかったので、自分で洋服を買うようになってからずーーーっと「ファッション迷子」でした。若い頃からなんともぱっとしない、ちょっととんちんかんな恰好で会社に行ったりデートしたりしていました。

 

勤務先はTシャツ・ジーパンOKだったのでなんとなくカジュアル寄りでごまかしていましたが、30代後半になって「似合う服がない」「ほしい服がない」「何を着ていいか分からない」と迷走するようになりました。何を着てもしっくりこなくて出掛ける直前に何度も着替えて遅刻しそうになることもよくありました。ファッションに興味がないのに着るものに振り回されるなんて滑稽ですがつらかったです。そのくせ、前日にコーディネートを考えるといった手間は惜しみ、なんとなく新しい服を買って、なんとなく身に着けている毎日でした。

 

しかし、40歳でお堅い会社に転職したことで迷子問題はいったん棚上げされました。周りに合わせてスーツを着ることにしたため、毎日の服装に頭を悩ませることがなくなったのです。女性はスーツ必須ではなかったのですが、厳しい上司の影響でスーツを選ぶ人が多かったです。オータにとっては本当に楽ちんな日々で、日本中の会社が女性のスーツを推奨すればいいのに、とすら思いました。
 

そんなオータが自分のセンスのなさと初めてきちんと向き合ったのは42歳の冬です。職場で親しくなった女性がとてもおしゃれな人で、思い切ってファッションチェックをお願いしたのです。彼女は一度もスーツを着ず、シンプルでベーシックながらいつも素敵な着こなしをしていました。そんな彼女に休みの日に家に来てもらい、手持ち服のコーディネートと要・不要のジャッジをしてもらいました。秋冬服だけで5時間かかりました。

 

まずクローゼットからすべての服を出し、どんどんコーディネートを作ってもらいました。暗くて単調な色が多い中から彼女が作ったコーディネートは、ニットからシャツの襟や袖を見せたり、カラータイツを組み合わせたりといったさりげない工夫でしたが、色の配分が絶妙で一気にあか抜けて見えました。コーディネートを作る中で自然と手放す服も決まっていきました。

 

ぜんぶの服を広げて分かったのは、紺色と茶色がやたら目立つということです。自覚はしていましたが、紺色のひざ丈スカートが5枚並んだところを目にした時はさすがに愕然としました。ブランドも素材も購入時期も違うので自分では服をたくさん持っているような気がしていましたが、「他人から見たら全部同じに見えるね~」と言われてすとんと腑に落ちました。

 

ほかに彼女の言葉で印象に残っているのが、

「紺×茶はあり得ない、濃色×薄色でめりはりをつけよう」

「必ず試着する、バーゲンに行かない、通販で買わない」

「顔まわりに明るい色を置こう」

などなど。思い当たることがありまくりで納得しまくりでした。

 

彼女のおかげで服の処分に踏ん切りがつき、クローゼットの中身を半分くらいに減らすことができました。作ってもらったコーディネートは周囲に好評で、新しく買い足したわけでもないのにさすがだなあと感心しました。オータはその数ヶ月後に異動となり、こんどは周りに合わせてスーツを着なくなったので、彼女のアドバイスが身にしみて有り難かったです。

 

教えてもらったことはその後もずっと役に立っています。必ず試着すると決め、通販の利用をすっぱり止めたので、イメージ写真で夢を見て失敗することがなくなりました。バーゲンやファミリーセールにもほぼ行かなくなり、行かなきゃ買わなきゃと焦る気持ちが消えました。何よりクローゼットの中身が減って持ち物を把握できるようになったので、出かける前に何度も着替えることがなくなりました。

 

今のオータはセンスが良くなったわけではないのですが、少なくともひどい迷子ではなくなった気がします。いちばん変わったのは、新しく服を購入する時、手持ちの服とかぶっていないかすぐ判断できるようになったことと、試着して店員さんに見てもらうようになったことです。やっぱり他人の目線、プロの意見は大切だなあと実感しています。


試着しても相談しても失敗することはありますが、以前より服選びに慎重になり、楽しめるようになりました。いま手持ち服の7割くらいが活用頻度の高い「一軍」ですが、50歳までにオール一軍を目指したいところです。

 

 

こんにちは白髪さん、さようならヘナさん

誰にでも髪の悩みはあると思いますが、オータは黒くて多くて硬いことが不満です。ひとつにまとめると竹箒みたいだし、硬い毛先がTシャツを突き抜けて肩や背中に刺さったりします。
学生時代のアルバイト先でいまのオータくらいの年齢のパートさんたちに「だんだん量が減って柔らかくなるわよ~」となぐさめてもらったことがありますが、今のところそんな気配はあまり感じられません。が、当時は考えもしなかった悩みは増えました。そう、白髪です。


オータの場合、35歳頃からぼちぼち出始め、40歳を過ぎて一気にその存在を主張するようになりました。46歳のいま、全体の3割くらい、場所によっては半分ほどが白髪です。母は白髪が少ない方だったので、こんなに早く出てくるとは思いませんでした。

 

美容院で白髪を染めるようになったのは2年ほど前からです。それまではずっと植物染料の「ヘナ」を使っていました。化学染料と違って髪にも肌にも環境にも優しく、手間はかかりますが大きな安心感がありました。自分で染めていたので価格も安く、白髪がこんなに増えなければずっと使い続けていたと思います。

 

しかし!ヘナは確かに白髪を染めてくれますが、その色は赤~オレンジでかなり華やかです。オータは地毛が真っ黒なので、白髪の増加とともにだんだんヘナの色が悪目立ちするようになりました。ヘナで染めた後にインディゴを重ねると落ち着いた色味になりますが、インディゴは定着しにくく、シャンプーするたびに色が落ちてしまいます。ヘナだけでも面倒なのに、さらにインディゴで後染めするのは結構な負担感がありました。40代になってどうにもこうにもヘナではカバーしきれなくなり、不本意ながら「脱ヘナ」の道を模索し始めました。

 
ただ、ヘナをやめるのにはかなり迷いがありました。かつて原因不明の「水疱」に悩まされたことがあり、ケミカル製品をできるだけ避けていたからです。体への負担が少ない非酸化染料やヘアマニキュア、カラートリートメントも検討しましたが、どれも一長一短で、だったらヘナでいいじゃないか、と堂々巡りをして数年が経過しました。

 

そんななかで「脱ヘナ」に踏み切れたのは、信頼できる美容師さんに出会えたことが大きいです。そしてもう一つ、頭の片隅に「いくら肌にいいものを使っていても、肌がきれいに見えなければ意味がない」というどこかで見た誰かの言葉がありました。オータはどちらかというとオーガニック志向ですが、オーガニックの化粧品は扱いがなかなか難しいのですよね。知り合いのマダムに「年をとるとどんどん汚くなるから、意識して身ぎれいにしないとだめよ」と言われたことも思い出しました。そして手元のヘナが残り1回分になった時、思い切ってヘナをやめることにしました。

 

化学染料に移行してからヘナで染めた髪がすっかりなくなるまでに2年近くかかりました。今は毎月美容院で染め、途中で分け目のあたりだけ市販のカラーリング剤を使っています。

 

ヘナを止めて良かったことは、仕上がりがきれいなのはもちろんですが、まめに美容院に行く習慣がついたことです。オータはとにかく髪が多くて、ちょっと油断するとすぐぼさぼさになってしまいます。ヘナを使っている時は2か月くらい放置することもありましたが、いまは月に一度のペースで髪を切ってます。あと、パーマをかけられるようになったのも嬉しいことでした。ヘナを使っていた時は髪にハリがありすぎて、きつくかけても1週間ほどで跡形もなくなっていたので。

 

ヘナを使ってみたけど挫折した、という記事はときどき見かけるのですが、長年愛用したのちケミカルに移行したという記事を見たことがなかったので書いてみました。
化学染毛剤の恐ろしさを訴えるサイトなどを目にすると今でも心は揺れます。でも若いころはほぼ黒髪で過ごしてきたので、しばらくはケミカルでもいいかなと思っています。
 
もっともっと白髪が増えたらごま塩とか銀髪とかにしてみたいな~と美容師さんに話したら、「ごま塩も銀髪も髪を選ぶのよ」と言われました。たいていの人は白髪が黄色ぽいので清潔感に難ありな雰囲気になるそうです。そして黒髪を白くするのは白髪を黒くする何倍も大変なのだとか。でも最近ごま塩頭をシルバーヘアにするカラーワックスが人気だし、今後も新しい技術や商品やブームが出てくるだろうと期待しているオータです。

 

 

 

 

なるべくスマホをやめてみる

スマートフォンを持つようになって1年が経ちました。
オータは携帯電話(ガラケー)を持ったのが2007年と遅く、その後ずっと同じ端末を使い続けていました。電話とメールができればよかったので、古い機種でもまったく問題なかったのです。

 

そのうち背面ケースがきちんと閉まらなくなり、ちょっとした衝撃で本体から外れてしまうようになりました。接着剤でくっつけて使っていましたが、時々かばんの中でばらばらになるので、夫が不憫がってスマホを買ってくれました。2016年夏、遅いスマホデビューです。
ガラケーは3150円(税込)で購入したものだったのでスマホの価格に驚愕しましたが、誕生日プレゼントという名目なので有り難く買ってもらいました。夫は旅先などで暇を持て余したオータにスマホを横取りされることがなくなり喜んでいるようです。

 
スマホが便利だと思うのはインターネットが気軽に利用できるところです。ガラケーの時は画面が見づらいのとパケット代節約のため、一切ネットには接続しませんでした。これはオータの友人に共通した感想です。類友。

スマホを持ってからは、通勤中に晩ごはんのメニューを検索したり、待ち合わせ場所に向かいながら乗り換え駅を調べたりと、事前に調べてメモすることがほとんどなくなりました。ちょっとした調べものをするのも手軽だし、旅行や帰省などの長時間の移動で退屈することがなくなりました。

 

一方で、無駄にネットをする時間は明らかに増えました。これまで見たこともなかった大手サイトの芸能ニュースにアクセスしたり、うっかり広告を開いてしまったり、個人ブログの過去記事を延々読んだり。スマホを手にするのは主に移動時間や待ち時間なのですが、そんな隙間時間にスマホをいじる生活にあっという間になじんでしまいました。

 

そのうち頭痛がするほどのひどい肩こりに悩まされるようになりました。最初はスマホが重いせいかと思ったのですが、試しに重さを量ってみると、スマホが205グラム(保護ガラス付)、文庫本が230グラム(布カバー付)で、文庫本の方が重かったのでびっくりしました。でも、それを知った後でもやっぱりスマホの方がずっしり重く感じます。

 

手元を覗き込む姿勢を続けるせいで肩から背中にかけてがちがちに凝ってしまい、ちょっとした動作でも首や背中に痛みが走る毎日。痛くて動かすのを避けるせいでさらに凝り固まるという悪循環に陥ってしまいました。もう振り向くのもうつむくのも見上げるのもつらくなり、あらゆることが嫌になるくらい肩凝りに支配される日もありました。


以前から肩凝りはあったのですが、スマホのせいで悪化したのは確実です。ちょっとした暇つぶしのせいでこんなに体がつらくなるなんて・・・


そんなわけで、なるべくスマホから離れることにして1ヶ月が経ちました。

まず通勤中や昼休みはメールチェックのみにし、それ以外は自宅のパソコンを使うようにしました。メールは数行で済ませる方ですし、SNSはほぼ使っていないので、これでスマホを触る時間が激減しました。
そうなると、ほかに使っている機能は時計とカメラくらい・・・時計は機能じゃないか・・・ガラケーに戻った方がいいくらいですが。

 

通勤中になんとなく周りを観察してみると、スマホを手にしていない人が意外に多いことがわかりました。それまでは8割くらいの人がスマホをいじっているイメージだったのですが、オータが利用している地下鉄ではスマホを手にしている人とそうでない人が半々くらい。非スマホの人が何をしているかというと、①ぼんやり ②うたたね ③読書 ④新聞 ーーという感じ。日中だとおしゃべりする人なんかもいるんでしょうね。

 

オータは乗車時間が短いのでだいたいぼんやりと考え事をして過ごしていますが、車内広告は割と熱心に眺めています。貴重な情報源です。

 

肩凝りはどうなったかというと、スマホを控えるのと同時に、ストレートネック対策のストレッチをするように心がけたらだいぶ改善されました。あと、スマホを使う時はなるべく高い位置まで持ち上げて、手元を覗き込まないよう気をつけています。首への負担が減るのに加えて、腕が疲れて長いこと持っていられないので、連続での使用時間が短くなりました。


肩凝りが改善したのは嬉しいのですが、この調子でいくと通信料がもったいないことになるので、いつかガラケーに戻る日がくるかもしれないなあと思うこのごろです。

 

 

 

 

『アフリカの日々』

ずいぶん前に同僚に薦めてもらった本です。先日ふと思い出して図書館で借りてきました。古い本で背表紙はかなり色褪せていましたが、しおり紐の雰囲気からオータが最初の読者のようでした。

 

100年近く前のアフリカのコーヒー農園が舞台です。淡々とした筆致で農園を切り盛りする女主人の日常がつづられており、過酷な環境であるにもかかわらず独特の静けさが流れています。

 

同僚は東南アジアを放浪していた時にこの本を何度も何度も読み返したそうです。オータもアジアを一人旅したことがあるのですが、テレビもエアコンもない、文明から取り残されような部屋でひっそりと過ごした夜のことを思い出しながら読みました。

 

 

アフリカの日々 (ディネーセン・コレクション 1)

アフリカの日々 (ディネーセン・コレクション 1)

 

 

 

吉村昭文学館のこと

吉村昭記念文学館に行ってきました。
荒川区の公共施設に併設されたこぢんまりした文学館です。取材ノート、自筆原稿、書簡などが展示されているほか、大量の資料に囲まれた書斎が再現されていて、実際に中に入ることができます。分かりやすい丁寧な展示で、吉村昭の執筆活動の軌跡だけでなく、文学館開設に関わった人たちの思いにも触れたようで胸が熱くなりました。

 

オータは40歳を過ぎてから吉村昭を知りました。初めて読んだ作品は「羆嵐」です。最初から最後まで途切れることのない緊迫感ある描写に、まるで映像を見ているかのような生々しい恐怖を感じました。
当時、オータは札幌の中心部にあるマンションの3階に住んでいて、絶対にそんなことはないと頭ではわかっているのに、ヒグマが窓を突き破ってくる想像におびえて戸締りを何度も確認しました。

事件が起こった三毛別にも二度行きました。一度目は作品を読む前、二度目は読んだ後で、同じ場所なのにまったく異なる印象を持ちました。ミツバチの羽音が聞こえるほど静かでのどかなところですが、事件のあらましを知った後は、周囲の茂みから今にもヒグマが飛び出してきそうな恐怖で車の外に長くいられませんでした。

(現地にはヒグマが民家を襲う様子を再現した実物大の展示があります)

 

その後、小学生のときからの吉村昭ファンという人と知り合い、「破獄」や「零式戦闘機」を勧められて本格的に読むようになりました。石に刻みつけたような揺るぎのない文体にすっかり魅了され、次から次へと読み進めました。

もっと若い頃に吉村昭の作品と出会っていたらその後の読書傾向が変わったに違いない、と悔しさを感じるほどのめり込みましたが、もしかすると若さゆえに面白さを感じることができなかったかもしれません。

 

文学館でいちばん印象的だったのは、書斎の本棚にずらりと並んだ市町村史です。あの本もあの本もこれらの資料を参照して書かれたのかと思うとしばらくその場を動けませんでした。

 
映像化された作品も多い著名な作家ですが、文学館は本人の遺志を反映した簡素なつくりで、隣接する図書スペースのざわめきが無造作に耳に届くほど開放的な雰囲気があります。

吉村昭のことを知らずにふらりと入った人が、その誠実な作品や誠実な展示に触れ、新しい読者になっていくことを予感させる場所でした。