老いていく両親

母が75歳の誕生日を迎えました。一つ年上の父とともに後期高齢者の仲間入りです。

 

オータの両親は今のところ健康で、頭もしゃんとしています。有り難いことです。ただ、70歳を過ぎるあたりから年を取ったなあと感じることが増えました。年に1、2度しか帰省しないので、余計に意識してしまうのだと思いますが。

 

最近感じるのは、父の背がずいぶん縮んだこと、筋肉が衰えたのか全身が痩せて小さくなったことです。腕も腰も細くなって、服がだぶだぶに見えました。オータは背が高い方で、父とほぼ同じ背丈だったのに、最近はなんとなく見下ろすようです。あと、外ではすたすた歩くのに、家の中では動きが少しぎこちなく、ひょこひょこ歩いているのも気になります。少し腰が曲がってきたのかもしれません。

 

そして、父の指はさらに太くねじれて、特に人差し指は左右とも第一関節が膨らみ、あさっての方向に曲がってひどい有様になっています。指先が安定しないようで、血圧記録帳の震えるような文字を目にした時はショックを受けました。父は字が上手だったのです。拾ってきたどんぐりにふざけて描いた顔もがたがたで、真っ直ぐな線を引くのが困難なようでした。

 

 父はリタイヤ後、風呂掃除と皿洗いを担当しているのですが、帰省するたびに母が「また割ったのよ」とこっそり愚痴ってきます。物をつかみにくいのだから仕方ないと思うのですが、どうも母はそのことに気づいていないらしいのです。母が立てるちょっとした物音にすぐ反応して睨みつける神経質な父に対し、こうして愚痴を言うことで溜飲を下げているようでした。

 

父の変化を最初に目の当たりにしたのは5年ほど前のことです。オータが壊れたガラス細工の置物をいじっていると、しばらく横で見ていた父が「かしてみろ」と言い出しました。当時の父はリタイア直後で暇を持て余していて、人のやることなすこと口を出す印象でした。壊れたまま長いこと放置していたのに、人がいじっているととたんに興味を示して奪おうとする父に腹が立ち、オータは黙ってその場を離れました(父とはあまり相性が良くありません)。

 

次に帰省した時、そのガラス細工が飾ってありました。近くで見るとあちこち接着剤がはみ出し、接着面もずれていて、まるで子供の仕業のようでした。不恰好に修理されたのを見て、もっときれいに直せたのにと再び腹が立つ一方、父が自らの老いをさらしているようで悲しくもなりました。食事中に箸を落とすこともあるくらいなので、いちばん歯がゆいのは父自身だと思いますが、周りもそれを受け入れなければならないんだと心に刻みました。

 

母の方はそれほど目立った変化はありません。一日中くるくる働き、趣味も友達も多く、何事にも前向きな姿に、我が母ながら感心するばかりです。ここ数年で変わったのは、家計簿をつけるのを止めたこと、目がしぼんだように小さくなり、黒目の輪郭がぼんやりしてきたこと(老人環というらしい)、風邪をひきやすくなったこと、くらいでしょうか。

 

家計簿は50年近くつけていて、止めたと聞いて驚き心配したのですが、年金生活になって収入と支出の変動がなくなったと言うのでいちおう納得しました。体力や気力の衰えを心配したのですが、家計管理に問題はなさそうだし、日記はつけているので、単に面倒になったようです。もしかすると、半世紀続けてきたことを止める決断力の方がすごいのかも。

 

目が小さくなったのと老人環は仕方ないものの、目元がいかにも老人ぽく見えるのはアイライナーを止めたことが原因です。描くのが面倒になったのか、手元が見えにくくなってあきらめたのか。次に帰省した時に理由を聞いて、なんなら拡大鏡を買ってあげようと思っています。洗面台の電球を節約のために一つ外してあるのも、二つともつけるように説得するつもりです。オータですら暗くて鏡がよく見えないくらいなのですから。

 

子供のいないオータは帰省しても両親に甘えるばかりで、いまだに子供の役割をめいっぱい担当しています。同世代で親が鬼籍に入ったり、介護をする人が増える中で、感謝してもしきれないのですが、あと何回甘えらるのか、何回元気な両親に会えるのか、帰省するたびに切なくなるこの頃です。